母の卒寿のプレゼントは、母の田舎の思い出と、父の思い出を渡せる美空ひばりさんのCD全集
昨年3月10日は、私の母の満90歳の誕生日でした。
現在、母は長男夫婦と実家で暮らしています。
少し前から、いくらか認知症の症状が出始めてはいます。
が、家族の支えがあれば日常生活に支障をきたすほどではありません。
実家は自営業なので、誰かしら家にいて母の様子を見ることができますし、しっかりしている方です。
体も丈夫で、今まで病気らしい病気もしたことがありません。
入院の経験はお産の時だけです。
卒寿のお祝いを言い出したのは長男
「今年こそ卒寿のお祝いをしてやろう」
と言い出したのは同居している長男でした。
というのは、本当なら、前年の数え年でお祝いをするつもりでいたのです。
が、兄のお嫁さんが骨折してお流れになってしまいました。
本来なら数え年でやるのが良いらしいのですが、そんなことがあって満年齢でお祝いをすることになりました。
古希のお祝い以来、実に20年ぶり
母のお祝いは、古希のお祝い以来、実に20年ぶりです。
そのときは、家族旅行をしましたが、最近は足腰も弱ってきたので旅行は無理です。
それで、卒寿のお祝いはどんな形にしようかと、兄たちと相談しました。
すると兄はこう言いました。
無理に出かけても母が疲れるだけだから、自宅でみんなで食事をしよう
との意見です。
それには姉たちも賛成していました。
各自で、事前に卒寿のプレゼントを用意
食事の準備は、当日みんなで手伝うことにしました。
そして、事前に自分たちが準備するのは、母が喜びそうなプレゼントを探しておくことです。
姉たちはしきたりに則って何か紫色の鉢植えの花をプレゼントすると言っていました。
私は迷わず母の好きなCDをプレゼントしました。
それは母が好きだった美空ひばりさんの全曲集です。
3000円くらいだったと思います。
美空ひばりさんのCDにした理由
それには理由があります。
母は山形から嫁いできました。
当時は今ほど交通網が発達していませんでしたから、田舎に帰れるのはお盆の時くらいです。
自営業ということもあり、日々働き詰めの母は、年に一回、田舎に帰るお盆を楽しみにしていました。
私が子供の頃は、今と違って歌番組が全盛でした。
母も歌を聞くくらいしか楽しみがなかったと思います。
そんな時、テレビで流れていた美空ひばりさんの「リンゴ追分」を聞いていて、こんなことを言いました。
「この曲を聞くと田舎の景色が瞼に浮かぶようだ」
と。
山形はリンゴの産地でもあります。
母の田舎の原風景はリンゴ追分なんだと、その言葉を聞いて確信しました。
私には、田舎はありませんが、田舎を持つ人は故郷に対して格別な思いがあるようです。
足腰が弱くなった母を山形にまで連れて行くことはできませんが、「リンゴ追分」を聞いて田舎を思い出してほしいという思いでCDを選びました。
卒寿当日の様子
母のお祝いの日に、みんなで食事をしている間、ずっとそのCDを流して母に聞かせてあげました。
本当に懐かしそうに聞いていました。
そのCDには「柔」も入っています。
この曲は亡き父が最も好きだった曲です。
すると母は嬉しそうにこんなことを言い出しました。
「これはお父さんが好きだった」
と。
やっぱり夫婦だなと思いました。
父はもし生きていたら100歳
父はすでに亡くなっていますが、もし生きていたら100歳です。
年老いてくると、いくら子供と同居していても、夫婦のどちらかがいなくなるのは寂しいようです。
私は、単に母が好きだった曲が入っているからという理由で選んだ全曲集でした。
ですが、父の好きだった曲が入っていることに、母がちゃんと気づいてくれたことが嬉しかったです。
一つのCDで田舎の思い出と、父の思い出の両方をプレゼント
一つのCDで田舎の思い出と、父の思い出の両方をプレゼントすることができたという満足感を貰えました。
母からは、特にお礼の言葉はありませんでした。
父の好きだった曲を、今でもしっかり覚えていてくれていたことが、私に対する最大のお返しだと思っています。
これから卒寿のお祝いを考えている方に
これから卒寿のお祝いを考えている方にご提案です。
その人の長い歴史の中で一番輝いていた時期の思い出に繋がるような物がいいと思います。
90歳になると行動範囲は限られてきますから、身近で簡単に楽しめる物というのが前提です。
取り扱いも簡単な物がいいですね。
そんな意味でも音楽CDはおすすめです。